終点の降車ボタンを誰が推すのか

絶対に停まる終点バス停で降車ボタンを押す人の存在
pato 2023.06.05
誰でも

僕の住んでいる場所は駅からかなり遠い。徒歩で行こうものならちょっとした大冒険になってしまう場所だ。

当然のことながら、駅までバスに乗ることが多くなる。ちょうど私鉄の駅とJRの駅を繋ぐバス路線があって、そのど真ん中に僕の家がある。どちらの駅も遠いというやつだ。

このバス路線は終点が駅になるのでほとんどの乗客が終点まで乗るという特徴がある。途中で降りる人はあまりいない。そこで一つ気になることがあるのだ。

「まもなく終点、〇〇駅です」

というアナウンスが流れる。するとかなりの確率で「ピンポーン」と降車ボタンが押されるのだ。

停まる予定の駅には絶対に停まる鉄道では必要ないが、バスの場合、誰も降りずに、乗りもしなであろう停留所なら飛ばしてしまうという特性がある。このため、この降車ボタンが必要となる。

誰かが乗ってくるかどうかは運転手が停留所を観察していれば分かる。けれども誰が降りるかは分からない。それゆえに「降ります」という意思表示が必要なわけだ。

しかしながら、よく考えて欲しい。終点なのだ。そう、次は終点なのだ。つまり、今ここに存在する全員が降りるわけだ。そこで「降ります」という意思表示が必要だろうか。

逆に言うと、押さなかったらどうなるか。まさか運転手が終点をスルーし、そのまま車庫に連れていかれ、全ての乗客が永遠にそこを彷徨う地縛霊になるというわけでもあるまい。そう、押さなくても停まる。つまり押す必要がないのだ。

けれども、少なくとも僕が乗った範囲では終点の前に必ず降車ボタンが押される。僕はそういった無駄なことにイライラするタイプなので、押されるたびにフラストレーションが溜まる。

しまいには今日は誰が押すのか、絶対にあいつが押すわ、ほうら押した。とあらかじめ予想をし始める始末だ。

まあ別に毎日バスを利用して駅に行くわけではなく、たまにしかいかないのでそこまでイライラが溜まるということもないのだけど、ある時、仕事の関係で3週間くらい毎日、朝8時、同じ時間のバスに乗らなければならない日々がやってきてしまった。

もう乗る前から気が重い感じがした。ぜったいにイライラする。

初日。

やはり終点前に意味のない降車ボタンが押されてしまった。ただ、通勤ラッシュでバス内は満員だったので、誰が押したのか分からなかった。

2日目。

やはり降車ボタンが押される。イライラが募る。これってこの世で一番に意味がないものじゃないのか。ファミコンの2コンについてたマイクくらい意味がいないんじゃないか。あれドラミちゃん呼ぶ裏技以外で意味があったの。

3日目。

やはり押される。この3日で分かったことがある。押すタイミングが全く一緒だ。つまり同じやつが押している。

4日目。

誰が押しているのか突き止めようと思った。ただ満員なのでそれは難しい。とりあえず車両の真ん中に陣取って監視する。周囲の人は押してないようだ。

5日目。

小さな子供が押している可能性もある。無邪気さゆえの行動だ。子供はボタンを押したがる。ただ、満員のバスなのであまり子供が乗っている姿を見かけない。その線はなさそうだ。

土日を挟む。さすがに土日は休みなので乗らない。

6日目。

後ろを見張ることにする。僕が乗る停留所からではすでに満員になっているので後ろに陣取ることは難しい。仕方がないので早起きし、歩いて始発の停留所(こちらも駅)に行き、そこから乗ることにした。

しっかりと最後尾を確保できた。ギラギラと目を光らせて監視したが、後ろの方にも押す人はいないようだ。

7日目。

ついに見つけた。前の方に陣取るおばさんが押していた。完全に手馴れているので、この人が毎日押しているに違いない。

8日目。

一応確認する。やはり同じおばさんが押している。

9日目。

なんでそんな無駄なことをするのかバスを降りた後に問いただしてみようと思った。けれども、おばさんはさっそうと降りて行って駅に消えていくので追いつけなかった。

土日を挟む。

10日目。

今度は近くに陣取り、降りた瞬間に問いただしてやろうと思った。ただ、一瞬、ある考えが浮かんだ。

いつも同じタイミングで必要ない降車ボタンを押すおばさん。それより先に押したらどうなるだろう。

いつものタイミングよりワンテンポ速く、僕が押した。ピンポーン。響き渡るサウンド。「つぎ停まります」わかっとるわ終点だ。こんなに大音量で仰々しく儀式めいたものが展開される。なのにこれらがすべて意味がないのだ。けど、なんだかそれは爽快な感じがした。気持ちいいのだ。クセになりそう。

11日目 

大変なことになった。昨日、先に押されたことを根に持ったのかいつもより早いタイミングでおばさんに押されてしまった。悔しい。負けたくない。

12日目 

チキンレースとなった。お互いに終点前の停留所を出た時点でボタンを押す。ただ降車ボタンは早押しボタンみたいに何かがせりあがるわけではないので、どちらが押したものが有効なのか分からない。僕らは意味のない戦いに没頭しているのか。

13日目 

チキンレースはらちがあかないのでやめる。おばさんに普通に押される。

14日目 

ついにおばちゃんに話しかけて詰め寄る。どうして意味のない降車ボタンを押すんですかと質問する。おばちゃんはととても驚いていたが、押しても押さなくてもいいものなら押す。気持ちいいから。と返答した。

ついつい「わかります。その気持ち」と返答してしまう。なんのために話かけたの訳の分からないことになってしまった。

15日目 

このバスに乗るのも今日で最後なんですよといったらおばちゃんが押させてくれた。気持ちいい。

結論、終点前に降車ボタンを押すのはけっこう気持ちがいい。

ちなみに多くのバス会社の見解によると、押しても押さなくても終点では停まります。ですから押しても押さなくてもいいそうです。それなら押す。気持ちいいから

無料で「patoがなんか書いたりする」をメールでお届けします。コンテンツを見逃さず、読者限定記事も受け取れます。

すでに登録済みの方は こちら

誰でも
すごい本が出るぞ!という話。「文章で伝えるときいちばん大切なものは、感...
誰でも
自分ガチャ
誰でも
修学旅行でお小遣い全てを使って野球拳ゲームに熱狂した小学生の話
誰でも
セイウンスカイが逃げ切れたなら彼女の気持ちも戻ってくる、そう信じていた...
誰でも
NHKマイルカップでサドンストームが勝ったら好きな子に告白する
読者限定
プロはなにを考えて記事を組み立てているのか
誰でも
「知る」の先に「考える」について議論していたらアナルから血が出ていた話...
誰でも
パスワードって無感情すぎて怖いというお話