稲の成長が早いことに気が付いた女子高生の話

稲の成長と誰かの成長、そして自分の成長の話
pato 2023.05.10
誰でも

「思っていた以上に稲の成長が早いの。すごいんだから!」

あれは随分と前の6月のこと。僕は地方都市の駅前ロータリーに立っていた。初夏の風が心地よく、爽快な気持ちになる。

そんな場所でバスを待っていると、冒頭のセリフが聞こえてきた。それ自体は特段に取り立てることではなく、ごくありふれた雑踏の中の一つの言葉であったが、大きく興味を持ったのは、そのセリフが女子高生の口から放たれたことだった。

彼女は制服を少しだけ崩した着こなしをしていて、それ以外は普通の今どきの女子高生だった。健康的で活発そうで、どちらかと言えばかわいい子だった。そんな彼女の口から「稲の成長がはやい」というアンバランスなセリフが出てきたのだ。稲と女子高生が繋がらず、少なからず困惑した。

それでも彼女は友人に向かっていかに稲の成長が早いか、いま田んぼで何が巻き起こっているのかを興奮気味に説明していた。僕はそのアンバランスさに驚き、戸惑い、そして深い関心を持つことになってしまったのだ。

稲の成長は早い。それは異論のないところだ。つい先日まで「これは稲作を放棄されたのでは?」と不安になってくるほど何も動きがなかった田んぼに突如として水が張られ、あっという間に苗が植えられることになる。その苗は止まっている時がないかと思うほど、あれよあれよとその緑色の部分を増やしていく。

通りがかりに見るたびに「この稲たちは天を貫くつもりか」と言いたくなるほど伸びているのだ。それに伴い、カエルだとか虫だとか鳥だとか稲を取り巻く生物たちも活発に動き出す。時が止まったかのように思われていた田んぼに突如としてドラマチックな展開がもたらされる。生命の躍動。それが6月の田んぼなのだ。

話を聞いていると、その女子高生は最寄りの駅まで自転車で30分くらいかけてやってくるようだった。そこから電車とバスを駆使してこの駅までやってくるので、なかなか大変な通学をしている様子だ。その駅への道中、自転車で突き切る田園風景を眺めていてふっと気づいたらしい。稲がすごい速度で成長していると。

「はあ? 稲ェ?」

しかしながら、女子高生の興奮は友人たちには伝わらなかったようだ。友人は素っ頓狂な声を上げた。それどころか、またアヤカ(僕の頭の中で勝手に命名した)の空気読めない話が始まったよ~といった不穏な空気が流れたのを感じた。友人たちはお互いに何かの目配せをしている。

こういった空気を読むことを強要される重苦しい「何か」はこの年代特有のものなのかもしれない。彼女たちは僕たちが思っている以上に息苦しさの中に生きているのだ。

アヤカ(勝手に命名)は失敗したとでも思ったのだろうか、少し浮かない顔をし、やや都市めいた場所に向かうバスに乗りこむ友人たちを見送った。バス停には僕とアヤカ(勝手に命名)が残されることになった。

僕は、アヤカ(勝手に命名)の失敗はともかく、気付きは非常に大切なことだと感じた。なぜならば、おそらく彼女は田んぼや稲を見ることが初めてではなかったはずだからだ。なかなかの田舎に住んでいて、おそらく田んぼにも稲にも囲まれて生きてきたに違いない。駅から自転車で30分、きっとそんな場所だ。夜になるとカエルが大合唱、といった環境で育ったに違いない。周りは稲だらけだ。

それなのに、高校生という年齢になって初めて稲の成長がはやいことに気が付いたのだ。ずっとそこに稲があったのに。いまこの時に気づいたのである。そこに大きな意義と意味がある。

バスに乗り込む。

アヤカ(勝手に命名)も同じバスに乗り込み、少し離れた場所に座った。車窓の景色は地方都市特有のそれに変わり、あっという間に田園風景へと変わった。水を張った田んぼに整然と並ぶ青々しい稲たち。それを見ると少しだけ昔を思い出した。

あれは、社会人になって数年の頃だった。やっと後輩ができるという噂を聞きつけ、僕の胸は躍った。かわいく素直な後輩ができると思ったからだ。いてもたってもいられず、研修の様子を覗き見に行ったほどだった。

研修室に整然と並ぶ新入社員たちは、ちょうどこの稲のような青々しさだった。この中の誰かが直属の後輩になる、そう思うとワクワクとドキドキが止まらなかった。正直に言うと、かわいい女の子が後輩になって「彼氏? いないですよ、でも、先輩みたいな人がいいなあ」とかなるのでは? 漠然とそう思っていた。

そんな予想に反して、直属の部下になったのは、前髪が異様に長く、根暗な性格っぽい男だった。その彼はどうやって面接を突破してきたのだろうかと思うほどに無口だった。ほとんど意思疎通ができず、会話もままならなかった。僕の中のかわいい後輩像はガラガラと音を立てて崩れ始めた。正直に言ってしまうと外れの稲を引いてしまったとすら思った。

彼は本当に意思疎通ができなかった。そして敬語が使えなかった。けっこう上の立場のほうの偉い人が新人の様子を見に来たことがあったのだけど、その時に偉い人が後輩に話しかけた。

「どうだい? ちゃんとやれてるかい?」

少し冗談交じりに軽い感じ、ざっくばらんな感じを演出して話しかけられた。その時に後輩は、こう返した。

「見りゃわかるだろ、うまくいかねえよ」

つくづく、どうやって面接を突破してきたのか。謎が深まるばかりである。なんらかの巨大な闇の力が働いたのではないか、そう噂されるほどだった。

その後も彼は、宛名書きで「御中と書くように」と言われて「Want you」と書き、取引先にお前が欲しいと宣言する勢いを見せたり、会社の回線とパソコンでファイル交換ソフトをやり始めたりとやりたい放題だった。絶対に闇の力が働いていると思ったほどだった。

それから2年ほど彼と仕事したが、彼は全く成長しなかった。整然と並ぶ稲の中で、1つだけ成長を止めた稲があり、それが僕に割り振られたものと感じた。

新人期間が終わり、別の部署へと移動した彼に再会したのは、さらに2年経ってからだった。職場の飲み会が行われる居酒屋に向かうと、そこは比較的大きなショッピングセンターだった。その片隅の会場の居酒屋がある。早い時間に到着してしまい、時間を持て余していたのでフラフラと歩いていたら彼に遭遇した。彼も早く来てしまったようだ。

「久しぶり、元気だった?」

そう話しかけると、彼は視線をそらした。

「はあ、まあ……」

相変わらず無口だった。稲は稲のままなのだろう、何も成長していない、そう思った。このまま彼と二人で時間を潰すのはちょっとキツイぞ、と思っていたら、恰幅の良い紳士に話しかけられた。

「おひさしぶり、元気だったかな」

今日はよく久しぶりな人に会うものだと思ったが、取引先のけっこう偉い人だった。確か専務とかそんなレベルの役職だったはずだ。

「ご無沙汰しています。今日はどうされたんですか?」

そうやって無難な会話をする横で、稲は視線を外して俯いていた。ただ、黙ってくれていたほうがいい。こいつが口を開いたらタメ口で失礼なことを口走るかもしれない。それだったらそのままコミュ障を発揮していて欲しい、そう思った。

「いやね、孫娘に頼まれておもちゃを買いに来たんだよ。なんだったかな、たしか、プリなんとか」

専務も人の子、か。取引先で仕事の鬼とまでい言われていた専務が今や孫娘に頼まれてお買い物ですよ。

「大変ですねえ」

無難に会話していると、専務が何かを思いついたようだった。

「そうだ! ちょうどいい。君たちは若いんだから詳しいだろう、そのプリなんとかのおもちゃを探してくれないか」

僕らが若いといっても、孫娘さんほどではない。そんな小さい子の、しかも女の子のおもちゃはわからないなあ、ちょっとお力にはなれないなあと思っていると、稲に閃光が走った。まさにそれは雷光であった。

「そのプリなんとかはおそらくプリキュア。プリキュアは現在のところ5シリーズ制作されています。おそらく最新の『Yes!プリキュア5GoGo』だと思うが、もしかしたら初代である可能性もある。なにせ『ふたりはプリキュア』は初代が根強い人気を保っていて、いまだに主人公交代を嘆いている者たちがいるくらいだからだ。そもそも、あの手のアニメで主人公が交代するということはこれまでになかったことだ。しかし、主人公を固定して先細るよりも、常に代替わりして新鮮さで勝負する道を選んだ、それが3作目のプリキュア。そういった意味では賭けに出た『ふたりはプリキュア Splash Star』も捨てがたいが、おそらく小さい子供ならそのような視点を持たず、最新のものを好むはず。ということはタイトルから『ふたりは』が外れたプリキュア5、それも最新の『Yes!プリキュア5GoGo』だと思う。ただ、まだ変わったばかりなので、前シリーズの『Yes!プリキュア5』のグッズも置いてある可能性があり、子供はそういうディテールにこだわるので間違って買わないように注意すべき。人数はたくさんいた? プリキュア5以外なら多くても3人なのでたくさんいたという印象ならその時点で5か5GoGo(正確には覚えてないけどたぶんこんなことを言っていた)」

めちゃくちゃ早口でしゃべってる! めちゃくちゃ饒舌!

あまりの勢いに専務も

「た、たぶんたくさんいたかな」

「じゃあ5GoGo。確定」

育たぬ稲であった彼が雷光と共に輝いた瞬間だった。まさか彼が誰かのためにここまで熱烈に口を開くなんて、考えられないことだった。稲妻、とはまさに稲の実りと雷が密接に関係があることから生まれた言葉だ。彼はプリキュアによって実ったのだ。

「ありがとう、これで間違わずに買えそうだ」

そういって手を振りながら歩き去る専務に、彼は少し頭を下げて言った。

「お、おき、おきをつけて」

言いなれない言葉を明らかに無理して言っていた。相手を気遣う丁寧な言葉が彼から飛び出したのだ。なんてことはない、彼は彼なりに成長していたのである。稲は伸び、稲妻と共に実っていたのだ。

成長とは何であろうか。

僕は、このエピソードにおける彼の変化をとって成長を論じるつもりはない。実はここで成長しているのは他でもない、僕自身であるという話だ。

いやー、全然成長しなかったのに久々に会ったら成長していましたよ、彼、と彼によって大変な目に遭わされていたとき、よく愚痴や相談をしていた先輩に、プリキュア饒舌事件の顛末を話した。そこで先輩から言われた言葉が印象的だった。

彼はハチャメチャだったけど、彼なりに少しずつ成長していた。お前が彼はだめだと決めつけてその成長を見ようとしなかっただけだ。彼が成長したのではなく、彼の成長に気づけるようになったお前が成長したんだ。

成長とは誰かの成長に気が付くことである。

2段階目の成長とでもいうべきが。自分のことに一生懸命で、懸命に生きているとき、周りの成長や変化には気が付かない。周りをみてそれに気づいたとき、もう一段上の成長が始まるのだ。

子育てに苦しんでいる人がいる。僕が偉そうなことを言えるわけではないけど、目の前のことで精いっぱいの中で子供の成長に気が付くことがあるかもしれない。それはやりがいでもあるし、自身の成長でもあるのだ。

仕事に苦しむ人がいる。目に見える成果が出なく無意味だと思うこともあるかもしれない。けれども、あなたの仕事によって周りが少しでも変わっているかもしれない。周りでなくとも遠い誰かに変化が訪れているかもしれない。それはきっと成長だ。そして、それに気が付くことがまた成長なのだ。

人間関係に苦しむ人がいる。あなたが変われば周りも変わるかもしれない。それによってまたあなたが変わり、どんどん良い方にかわるのかもしれない。周りもあなたも成長していく。

冒頭の稲の成長に気が付いた女子高生も、また成長したのだ。きっと彼女の中で何かの変化があったのだろう。自分の周りしか見えていないかった彼女が、視野を広げ、初めて稲の変化に気が付いた。それは彼女の成長なのだろう。

本当に稲の成長は早い。

気が付けばすぐに稲光がして、収穫の時を迎える。その激動の変化に気が付ける視野を持つことは、きっと多くの面で役に立つのだろう。僕らは誰かの成長を目ざとく見つけ生きていくべきなのである。

バスの中の女子高生アヤカは、落ち込んでいた。空気が読めないと友達に言われたことを気にしているようだった。けれどもすぐに何かを思い直したのか、また元気な顔になっていた。彼女が何を思ったのか知らないが、きっとポジティブな決断をしたのだろう。

車窓からまた稲が見えた。つくづつ、稲の成長は早いのである。

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