正しさが暴走するこのインターネットは早急に滅ぶべきである

雨に濡れる小学生を見て、松井君のことを思い出した
pato 2023.05.11
誰でも

雨の中、一人で帰る小学生を見た。

小学生はランドセルを背負いながら傘もささずに歩いていた。土砂降りの雨だ。頭の先からつま先までずぶ濡れである。何か理由でもあるのだろうかと少し気になった。

わざと濡れて帰るという行為については、僕の身にも覚えがある。バカだったので、濡れながら帰るという行為をかっこいい、と勘違いしていたのだ。土砂降りの雨の中をストイックに歩く尾崎豊的な姿をイメージしていたのだろう。実際には小汚い子どもがずぶ濡れになっているだけだったが、僕自身はかっこいいと思っていた。

あの小学生もそういった類の陶酔だろうかと考えたが、雰囲気からしてもそうは思えなかった。気になったし、理由をたずねたかったが、僕が小学生に話かけてしまうとその時点で声掛け事案になりかねないので、郵便局の屋根が庇みたいになっている場所からその様子を見守ることしかできなかった。

小学生はあいも変わらず、少し大きめの水たまりを確かめるようにして濡れながら歩いていた。

「どうしたの、ずぶ濡れじゃないの。傘を使いなさい」

郵便局から出てきたおばさんが、何の躊躇もなく小学生を呼び止め、自分の傘を差しだした。よくやった。さすがおばさんだ。そう思った。

「いいえけっこうです」

小学生は少し大人びた口調でそう答えた。同時に、また雨が強さを増したような気がした。

「いいって……ずぶぬれじゃないの。返さなくていいから使いなさい。風邪ひくから」

それでもおばさんは食い下がり、ビニール傘を差し出した。

「本当にいいんです。クラスのルールなので。忘れ物は自己責任。誰も頼っちゃいけないって決まったんです」

ちょっと彼が何を言っているのか分からなかったが、少しだけ考えて分かった。彼は頑なにクラス内のルールを守っているのだ。ただそれだけなのだ。

おそらく、彼のクラスは忘れ物が多いなどの問題があったのだろう。それに付随して、忘れ物の貸し借りが横行したのではないか。あまりにも責任感のない行為が多々見られたのではないだろうが。

それに担任の先生が怒った。人をあてにするな、人に迷惑をかけるな、忘れ物をした場合は誰かに頼ってはいけない、自業自得、自己責任、そんなルールが制定されたのだろうと思う。まるで子供たち自身がルールを決めたように見せかけて担任が主導している姿まで目に浮かんできた。

そして、彼はそんなルールの中で傘を忘れた。それだけのことなのだ。彼はルールを守り、誰に頼らず濡れて帰った。おばさんにも頼らなかった。それはきっと正しいことなのだろう。そして、忘れ物が横行する中で、自己責任であるとルールを決めた行為も正しい。あらゆることが正しいはずなのに、その正しさの連鎖の先が、ずぶ濡れの小学生になるのである。ここだけがなんだか釈然としないのだ。

ずぶ濡れの小学生、差し出した傘、その行き場に困っているおばさん、一層強まった雨、排水溝からは水が溢れ出てきている。その光景をみて一つの言葉が思い出された。

「正しさの暴走」

彼の痛々しい姿からはそれしか想像できなかった。あの日の光景だ。雨の音の隙間を縫って、当時のことが思い出されてきた。

小学校の頃、その日の授業を全て終えたあとに「帰りの会」なるものがあった。学級委員が司会となり、連絡事項などを伝達する会だ。最後に担任の教師がありがたいお話をしてくれて、掃除当番の確認をし、さようなら、となる、そんなスケジュールだった。

ある時、教師の発案で、「今日の困ったこと」というコーナーがこの帰りの会に導入された。当時はなんだかよく分からない面倒なものが追加されたものだと思ったが、今思うとこれはある意味、「正しさ」を追求しようとするコーナーであったように思う。

毎日、誰かが手を挙げて、今日の困ったことを発表することになっていた。そこで誰が悪いのかを論じ合い、謝ってもらおう、解決しよう、というものだった。

「今日、山岡君たちが廊下を走っていました。とても危険でした」

ある女子がそう発言する。そこで問題の山岡が照れくさそうな表情で立つことになるのだが、さらに女子から追撃が始まる。なぜ走ったのか、どこに行こうとしていたのか、ほかに走ったやつはいなかったのか、どれだけの危険があるのか理解しているのか、どうしてルールを守れなかったのか、延々とそう責められた挙句に締めの一言が放たれる。

「謝ってください」

そこで少し照れ臭そうに山岡が謝って終了、となるのである。おそらくであるが、概ねこれらの行為は正しい。ルールを守ることは大切だし、守らない人間を糾弾して謝罪させることは正しいのだろう。ただ、釈然としない「何か」がこの帰りの会にはあるのだ。

それが「正しさの暴走」だと気づいたのはずいぶんと後になってからのことだった。そう、往々にして「正しさ」は暴走するのだ。なぜならそれは自身の中に正当性があるからだ。人間はそこに正当性があると判断すると、あらゆる枷が外れるようにできている。この帰りの会においても、例外ではなく、その「正しさ」は暴走し始めた。

いつの間にか、このコーナーで「困ったこと」を提起するのは特定の女子だけになっていた。そしてその矛先はほぼ男子であった。女子が女子を糾弾することはなく、男子と女子の対立構造が浮き彫りになり始めていた。

「竹下君が掃除当番をさぼって困っています、謝ってください」

「吉岡君がビックリマンシールを学校にもってきていました。謝ってください」

最初の方はそれこそ正当な「正しさ」で、糾弾される内容も、そりゃ男子が悪いわ、というものだった。しかしながら、そういった指摘を経て次第に男子も品行方正になっていく。すると、糾弾する内容がなくなった女子が、何かないかと細かく粗を探し始めるのだ。もはや困ったことを指摘して解決するコーナーではなく、他人の粗を絞り出すように探して糾弾するコーナーになり果てていた。

「今日、美智子ちゃんに嫌がらせをして泣かせている男子がいました。謝ってください」

常連の女子が帰りの会で糾弾した。いつものやつである。誰かが美智子さんを泣かせたという告発だ。いつものことで、普段ならまた始まったわ、と遠巻きに見守るのだけど、この告発だけは様子が違った。なにせ、告発されたのが僕だったからだ。

どうやら僕が、少しおしとやかで引っ込み思案で、ちょっと泣き虫な美智子さんを泣かせてしまったらしいのだ。勝気な女子が告発する横で、美智子さんはまた瞳に涙を溜めていた。

本当に僕が何らかの悪行を働き、可憐な美智子さんを泣かせたのなら看過できない事実だ。徹底的に糾弾され謝罪すべきである。しかしながら、僕にはそんなことをした記憶が一切ないのである。どれだけ思い返してみても、美智子さんと関わった記憶がない。

「人違いじゃないか」

そんな主張をしたと思う。なにせ本当に覚えがないのだ。

「今日は美智子さんと会話すらしていない」

そんな主張もした。僕はクラスの女子に嫌われていたので会話することがほとんどなかった。関わりすらないのに嫌がらせをして泣かせるなんて芸当、できるわけがない。

「だいたいキミは頭おかしいんじゃないか」

ついでに告発した女子に対してそう主張しておいた。毎日毎日、よくわからないことを指摘して誰かを糾弾し、それに生きがいを感じているように見えた彼女のことが本当に頭おかしいように見えたからだ。

「人違いなんかじゃないわよ!」

告発した女子は顔を真っ赤にしてそう答えた。

「人違いだろ!」

声を荒げた言い争いみたいになってしまった。そうなると、オブザーバーとして見守っていた担任の教師が登場してくる。

「まあまあ、落ち着いて。何が悪くてこうなったのか、しっかり説明してあげなさい」

教師はそんなニュアンスのことを言った。女子は少し釈然としないといった表情で説明を始めた。

「今日の体育の時間なんですけど、男子がドッヂボールをして、女子はそれを見学していました」

女子の言葉に、僕も体育の時のことを思い出し、心当たりを探す。見学していた美智子さんにボールを当てたりして泣かせたということだろうか。いいや、そんなことはないはずだ。

「そこで岡田君が顔面にボールを当てられたんです。そのボールを投げたのがあの人です!」

女子はまるで検事のような素振りを見せながら、ビシッと僕を指差した。

確かに、思いっきり投げたボールが岡田君の顔面に当たった。けれども、別に狙ってやったわけではないし、岡田君にも謝っている。「悪いな」「いいよ」そんな会話もあった。そして、そもそも、一連の行為に美智子さんは全く関係がない。

「確かに岡田君に当てたけど、それは関係ないじゃないか。キミは頭おかしいんじゃないか」

反論しつつ、しっかりと頭のおかしさを指摘しておいた。

「関係あるわよ!」

女子はまた声を荒げた。そしてその勢いのまま続ける。

「美智子さんはね、岡田君のことが好きなの。その岡田君が顔面にボール当てられてショックで泣いちゃったんだから。だからそのボールを投げたあの人は謝るべきです」

女子はまた検事のような素振りで僕を指差した。

とんでもないことになった。

僕が投げたボールが岡田君の顔面に当たった。それは確かに悪い。謝るべきだ。けれどもそれは岡田君に対してだ。それを見てショックを受けた美智子さんに謝る必要なんてないはずなのだ。

「ヒューヒュー!」

女子の告発により、図らずも美智子さんが岡田君を好き、ということが暴露されてしまった。その事実にクラス中に冷やかしの雰囲気が蔓延した。岡田君もまんざらでもない様子で照れ臭そうにしている。

なんだか岡田君と美智子さんはお互いに好きあっている感じだ。僕の人生はいつもこうだ。僕が窮地に立たされて困っている傍らで、誰かと誰かの恋が成就している。まあ、今はそんなことはどうでもいい。

美智子さんは美智子さんで「大丈夫だからね、大丈夫だからね」とほかの女子に慰められ、また泣き出している。まるで僕が大罪を犯した気分だ。

「早く謝っちまえよ!」

男子の誰かが声を上げた。早く帰りたいのだろう。この帰りの会を終わらせないと帰れないのだから、いちいち誰が悪いとか議論している時間すら惜しいのだ。あまりの帰りたさに半分くらい腰を浮かしている男子もいるくらいの状態だ。

この帰りの会の糾弾コーナーは、男子対女子の対立構造が顕著になっていると述べたが、実際には男子は一枚岩ではなかった。自分が槍玉にさえ挙がらなければ女子側につき、一斉に囃し立てる傾向にあった。早く帰りたいからだ。

泣く美智子さん、慰める女子、照れくさそうな岡田君、囃し立てる男子に、早く帰りたくて腰が浮いている男子、声を荒げる女子、そんなカオスな中で僕が謝ることになった。

なぜか意見が割れた場合は、謝るべきか多数決で決めるという鉄の掟があったため、圧倒的多数で負けた僕は謝ることになったのだ。

「えー、美智子さんの気持ちも知らずに、岡田君の顔面にボールをあてて申し訳ありませんでした」

僕はいま現在40歳を超えている。つまり40年生きているわけだ。ずいぶんと長いこと人生ってやつをやってきた中で、この社会にはそれはそれは理不尽なことがたくさんあった。

クソな上司、アホな取引先、頭のおかしいクライアント、それらが織りなす圧倒的理不尽をもってしても、小学生時代のこの謝罪の理不尽さには勝てない。それだけの経験だ。唯一匹敵するとすれば、車内の栗拾いツアーに、職場で嫌われまくっている僕だけ誘われなかったのに、4000円の会費を後日徴収されたことくらいだ。これはそれくらいの理不尽だった。

この帰りの会において「正しさ」は確実に暴走していた。もう収集つかないところまできていた。

ただ、それを修正することは難しい。なぜなら多くの人が「正しさ」の対立軸に「正しくなさ」を置くからだ。「正しさ」の間違いを指摘することは「正しくなさ」だと本気で信じているからだ。ほんとうにそうならどれだけ楽なことか。それ故に、間違った「正しさ」は暴走していくのだ。本来は「正しさ」の対立軸は「別の正しさ」なのだ。

さらに「正しさ」は暴走した。

帰りの会がはじまり、今日の困ったことコーナーに入ると、いつもの女子が手を挙げた。

「最近、松井君の周りが臭いです。松井君はちゃんとお風呂に入ってください」

とんでもない告発が飛び出した。クラス中がざわめいた。

松井君の家は貧しかった。いつも汚らしい同じ服を着ていて、風呂にもちゃんと入っていない感じだった。いつも何かしら汚れていたし、髪だってボサボサでフケだらけだった。聞いた話によると住んでいる借家には風呂や洗濯機がなく、満足に銭湯などにも行けなかったようだった。

しかしながら、いくらそうであっても、それは人として言ってはならないことだ。いくら子どもでもそれくらいの常識は備わっているはずだ。誰もが毎日お風呂に入って綺麗に着飾ってオシャレできるわけではないのだ。

けれども、女子たちは告発した。どうやら雰囲気的に、女子たちで示しあわせて告発した向きがあった。もう告発することもなくなったし、松井いっとくか、みたいな雰囲気があった。

「臭いのよね」

「毎日同じ服だし」

「気分が悪い」

女子たちは口々にそう罵った。その勢いに乗って、男子たちも臭いだの汚いだの言い始めた。

恐ろしいことに、クラスの連中には松井君の名誉を傷つけているという意識が存在していなかった。あくまでも自分たちは正しく、悪を糾弾する勇者だと思っているのだ。

「謝ってください!」

何を謝れというのだろうか。不潔でごめんなさい、と謝れというのだろうか。どうやらそのつもりらしい。「正しさ」のうねりは大きな流れとなってクラス中を包み始めていた。

僕は松井君のことが好きだった。教室の中で話す松井君の話はおもしろく、興味深いものだった。彼の貧乏ネタは鉄板で、同じく貧しかった僕は深く共感した。自分の境遇を笑い飛ばせる強さが彼にはあった。僕はいまだに彼の強さを見習って生きている。

一番の恐怖は、僕自身がこの「正しさ」がおかしいと感じる立ち位置にいるのは、自分自身が聡明で物事を冷静に分析する力をもっているからというわけではない点だ。僕は松井君が好きだった。だからこの「正しさ」に腹を立てているだけで、状況が違えば、僕も同じように「正しさ」に熱狂している可能性があるのだ。それがとても怖い。

「もうこいつらはダメだ。でもこんなこと許されるわけがない。そう、先生だ。先生ならなんとかしてくれるに違いない。こんなことおかしいと叱り飛ばしてくれるに違いない」

縋るような視線を担任の教師に投げつけると、彼女は「活発な議論だわ、これぞ私の目指した教室」みたいな満足気な表情を見せていた。ダメだこいつ。

「正しさ」は熱狂を通り越していた。

女子たちは口々に「早く謝れ」と言い放った。男子たちも早く帰りたいと声を揃えた。ついに松井君は泣き出してしまった。そして僕は、なにもできなかった。

「多数決を取ります」

会の決まりに従って多数決がとられることになった。松井君が不潔にしていることを謝るかどうかを問う多数決だ。多くのクラスメイトが「正しさ」に従って投票する多数決だ。

結果は、圧倒的多数で「謝るべき」となった。いまこのクラスではそれが「正しい」らしい。

教壇に立ち、皆の方に向き直る松井君。涙が頬を伝っていた。

「僕が不潔にしていて、みんなに迷惑かけてごめんなさい」

松井君は謝った。何に対して謝ってるのか不可思議だが、とにかく謝った。

「聞こえません!」

すぐに女子から声が飛んだ。これは聞こえているのに何度もそう指摘して言わせる嫌がらせみたいなものだ。

「不潔でごめんなさい」

「聞こえません」

「不潔でごめんなさい」

「聞こえません」

もう松井君の声は涙声で聞き取れなくなっていた。

「本当に臭かったよね」「死ぬかと思った」「風呂くらい入ればいいのに」女子たちは勝ち鬨をあげた。男子たちは早く帰りたくて半分腰が浮いていた。

「はいはい、活発な議論だったわね。松井君も不潔にしちゃ駄目よ」

担任の教師がそう言って会を締めた。

松井君は次の日から学校に来なくなった。

恐ろしいことに、松井君が来なくなるという結果に対して、関わったすべての人間が「正しい」と思っているのだ。女子たちは正しく糾弾したと思っているし、担任も良い教育ができたと考えている。僕だって、あの状況では何もできないし、逆効果だったと何もできなかった自分を正当化している。

誰かが悪意をもって悪事をしているのなら、これほど単純なことはない。問題なのは、「正しさ」が暴走する状況なのだ。

ずぶ濡れで歩く小学生を見て思う。そこにはあの日の松井君がいた。そしてまた僕は何もできなかったのだ。全員が「正しさ」を行使したその末に、結果だけ「正しくない」状況があるのだ。

今のインターネットは、ある種、あの日の帰りの会のようなものだと思うことがある。SNSを取り巻く環境は「正しさ」が暴走しやすく、今日もどこかで誰かが「正しさ」を小脇に抱えて別の誰かの「正しさ」を叩いている。

人類の生活が変わる。最先端の技術。便利な世の中。輝かしい未来のであるかのような触れ込みで作られたインターネットの世界でやっていることは、あの日の帰りの会なのである。

あの雨に濡れた小学生は、未来の僕の姿かもしれない。キミの姿なのかもしれない。松井君であり、あの女子でもあるのだ。そんなインターネットなら早急に滅んでしまうべきなのだ。きっと、こんなものは未来じゃない。

自分の正しさを疑い、誰かの正しさに思いを馳せる。それこそがいまインターネットのみならず、このどこかずれた日常を生きるのに必要なことなのかもしれない。僕らのほとんどは「正しい」と思い込んでいるだけで、本当は「正しくない」。

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