サンダーVのモーニングサービスを毎日とっていたときの話

常連の老人たちと尾道おにいさん、そしてpatoの闘いの記録
pato 2023.05.18
誰でも

そこには3つの「V」が並んでいた。

1997年。香港返還などの話題がテレビから盛んに聞かれたその年に、伝説の名機、サンダーVはデビューした。スロットと聞くと僕はいまだにこのサンダーVを思い出す。それほどの名機だ。思えば、僕の青春はこのサンダーVそのものだったのかもしれない。

青春とはいってもそれは遠き日の花火のようなそれで、もう、サンダーVに狂っていた大学時代からずいぶんと時が経ってしまった。もはやすっかりとサンダーVのことなど忘れ、社会人として恋や仕事に大忙しだったが、そんな時、ふと何かを忘れているような気がしたのだ。

なにかを思い出せるのかもしれない。そう考えて購入した。やや汚れて、パネルも黄ばんでいるが、間違いなくサンダーVだ。

過去の名機といえども入手はなかなか困難だった。ネット通販で購入したのだけど、めちゃくちゃ送料が高かった。さらに、持ってきた西濃運輸のおっさんがクッソ非力な感じで、ゼーハー言いながら死にそうになって配達してくれた。そうスロット機とは重いのだ。そんなものが我が家にあることがちょっとおかしい感じがした。あの日、あの時、熱狂した名機が我が家にある。それはなんだか奇妙な感覚だった。東京で知り合った友達が地元の町にいる、みたいな妙に居心地の悪い感覚がそれに近い。

 このサンダーVという機種には大きな特徴がある。冒頭でも述べたように圧倒的な存在感を誇る三連Vの存在だ。

スロットはボーナス絵柄である「7」を止めて揃えることがメイン目的となることがほとんどだ。いわゆる、スリーセブンというやつだ。

ある時期から「7」以外の絵柄でも「7」と同じ役割を果たす絵柄が業界で流行しだした。僕の記憶が確かならば、ニューパルサー(山佐)のカエル絵柄が最初ではないかと思う。

それらは一気に大ブレイクし、その機種を特徴づけるユニーク絵柄として多くの機種で搭載されるようになった。

サンダーVにおいても、この「V」の絵柄が「7」と同じ役割を果たすユニーク絵柄となっていた。そこまでは他の機種と何ら変わらなかったが、サンダーVには大きな特徴があった。それが三連の「V」の存在だ。この衝撃は相当なものだった。

この辺は詳しく説明するとややこしいのだけど、スロット機はボーナスが成立して揃うぞ、という状態でないと出現しない絵柄の組み合わせがある。この3連「V」は出た時点でボーナスが揃う状態であることを示唆している。いわゆる1確というやつだ。これが出たらもう安心。そういった事情がこの3連「V」をさらにインパクトあるものにしていた。

当時の僕らは、この三連Vが見たくて見たくて仕方なかったのだ。

実際に打ち込んでみる。

無機質な機械音が6畳の部屋に響き渡る。スロット実機は思った以上に音がうるさい。ただ、それは心地よいものだった。

絵柄が、ストップボタンの感触が、音楽が、あの日の僕にトリップさせてくれる。そう、夢中だったあの日にタイムスリップできるのだ。僕の意識もいつの間にか「あの日」に旅立っていた。

1998年夏、僕らはこの3連「V」を毎日のように追い求めていた。

前年に彗星の如くホールに現れたこのサンダーVは瞬く間に多くの店をサンダーVに染め上げていった。その人気から翌年の98年になっても店の主力機種として君臨し、多くの人を虜にしていた。

当時のホールは、朝からの客付きをよくするために「モーニング」というサービスを行っていた。

単純に言ってしまうと、普通はたくさんコインを入れて何回もプレイし、抽選を受け、ボーナスを揃えられる状態にすることを目指すのだけど、朝っぱらから何台かは、もうボーナスを揃えられる状態になっている、というものだ。朝からだから「モーニング」というネーミングだ。これはなかなか衝撃的なサービスだった。

ボーナスを1回揃えるとだいたい5000円分くらいのコインが出てくる。視点を変えて考えると何枚かの5000円札が朝から店の中に落ちている状態だ。それを拾いに朝っぱらから多くの客が殺到していた。

このサービスはもう今の時代では禁止されており、行うことはできないが、当時は当たり前のサービスだった。やっていない店の方が珍しかった。ただ、その規模に差異はあって、あの店はモーニングが何台、あの店は何台と傾向があり皆がそれをなんとなく知っていた。多くモーニングが投下されている店は人が集まり、競争率が高くなるという摂理が働いていた。

僕が通っていた店は老人が多かった。老人は動きが遅いし、なにより3連「V」を停める技術がなかった。前述したように、3連「V」はボーナスが揃う状態でしか停まらないので、モーニングの有無を調べるのに最適だ。開店と同時にサンダーVのコーナーになだれ込み、端の台から三連Vを狙っていく。停まらなければ隣の台だ。これが老人にはなかなか厳しいようだった。僕らは三連Vが止まらない時点でモーニングなしと判断できるが、老人は自分の力量のせいで停まらないのか、モーニングがないからなのか判別できないのだ。

そんな中で猛威を奮っていた僕は、連日、モーニングを取得していた。

早い話、朝起きて店に並ぶだけで5000円貰えるのだ。金のない大学生だった僕には最高のアルバイトみたいなものだった。早起きして並ぶだけで5000円くれる、こんな楽園は他にはないと思いつつ、老人を蹴散らし、毎日のように3連Vを停めていたのだ。

また規則正しい機械音が部屋の中に響き渡った。

思い出に浸りながら打ち込んでいると、すぐに3連Vが出た。

「これだよ、これ、これのために毎日早起きしてたんだよな、大学にもいかずになあ」

ついつい呟いてしまった。

思い出は常に優しい。なんとなく良い思い出ばかりだったような気がするが、おそらくそれは都合よく改竄されたものなのだろう。軽やかに毎日モーニングを取っていたような記憶だが、それは初期だけで、実際にはそうではなかった。すぐに思い出した。

ある日のことだった。三連V取り放題の楽園にライバルが現れた。

それは常連たちから「尾道兄さん」と呼ばれる若い男だった。細身の飄々とした男で、なんでも、名前の通り、尾道に住んでいるらしかった。尾道から毎日きていると豪語していたが、普通に考えて異常である。尾道はここから50キロくらい離れた場所だ。何かがぶっ壊れている。

「毎日6時に家を出るんだ」

尾道兄さんは行列の老人にそう宣言していた。

この言葉だけでどれだけ頭のおかしい人物であるかが伺える。50キロ運転してきてサンダーVのモーニングを取りに来ているのだ。5000円を取りに来ているのだ。普通に尾道にもそういう店はあるのにだ。なぜか、ここまで来ているのだ。もしかしたらあまり損得とか計算できない人なのかもしれない。

ただ、尾道兄さん、頭はおかしいが行動は素早かった。

開店と同時に残像を残しながらサンダーVのコーナーに走り、あっという間に数台を打ち込んで三連Vを射止めるのだ。僕も負けじと素早さを上げ、三連Vを射止める。だいたい20台くらいサンダーVが設置されているこの店で、モーニングは2台投入されていたのだけど、僕と尾道兄さんが奪取する日々が続いた。

「あいつ素早いな」

僕はそう感じて尾道兄さんを認めていた。

「あいつは少し動きが遅いけど、モーニング投下のクセを見抜く嗅覚がすごい」

尾道兄さんも僕のことをそう認めていたと思う。早い話、良きライバルとして認め合っている間柄だった。そう書くとカッコイイ感じがするが、やってることは5000円のモーニング取りである。それも老人を蹴散らしてだ。

そんなある日、事件が起こった。

連日、2台しか投下されないサンダーVのモーニング、それを僕たちに取られることを良く思わなかった老人たちが結託したのだ。

老人たちは何をどうやっても素早さで僕らに勝てなかったし、三連Vを止めることができなかった。そこで老人たちは死ぬほど早く店に来るという作戦をとり始めた。

早起きだけは得意なので、集団で先頭に並び、開店と同時に何人かがモタモタとして後続をブロックする。その隙に先頭の爺さんがサンダーVに走り、三連Vを射止めるのである。どっかの神事でも見られたブロック作戦だ。

これは本当に悪質な作戦で、ブロック役の爺さんが心筋梗塞みたいな素振りを見せてせき止めてくるので本当にシャレにならなかった。僕も尾道兄さんも「そこまでやるか」という思いでいた。

ひょんなことを思い出して笑ってしまった。酷かったな、あの心筋梗塞ブロック。懐かしい気持ちに胸を焦がしながらサンダーVを打ち続ける。

また淡々と機械音が響いていた。

なんかこれ、いつまでも打っていられるな。そう思いながら淡々とサンダーVを回す。設定1にしてあるので今度はなかなかボーナスが出ない。スイカを揃えても何も重複しないし、中チェも全く熱くない。ただの2枚役だ。そんな事実が妙に新鮮だ。

「あの心筋梗塞ブロック、どうやって攻略したんだっけ」

ふと考えた。

また、あの日のサンダーVへと記憶が旅立っていった。

ある日、いつものようにサンダーVを打っていると、尾道兄さんが僕のところにやってきた。僕と尾道兄さんは、毎朝顔を合わせていたけど、ちゃんと会話をしたことはなかった。ただ、顔を知っている人、なかなかやるヤツ、そういう印象だけだ。そんな人が話しかけてくるのだから、まあ、非常事態なのだ。

「そろそろあれを攻略すべきだと思う」

何の話かと思ったが老人軍団の心筋梗塞ブロックのことだった。人道的な観点から嘘だとわかっていても苦しんでいる老人を蹴散らすわけにいかず、見事にブロックされ、モーニングを取れない日々が続いていた。僕はそこまで深刻ではなかったけど、50キロ離れた尾道から来ている彼は深刻だ。

「でもどうやって?」

そう言うと尾道兄さんはニヤリと笑った。

「俺に任せておけ」

自信に満ち溢れた尾道兄さんの姿がそこにあった。この人、こんな表情ができる人だったんだ。もっと陰気だと思っていた。

次の日、開店前の行列に並ぶと、そこにはすでに何人かの老人がいて、一体、何時から並んでいるんだよという勢いで君臨しておられた。しかしながら、そこに尾道兄さんの姿はなかった。

「今日はトクさんが心筋梗塞で」

「よっしゃ任せておけ」

老人たちはそんな会話をしていた。今日も心筋梗塞ブロックが炸裂するらしい。心筋梗塞で、ってホントめちゃくちゃなセリフだな。

昨日あれだけ攻略すると豪語していた尾道兄さんの姿はない。彼は恐れをなして逃げてしまったのだろうか。というか、そもそも尾道から来てること自体がおかしいのだ。来ないことの方が自然なのかもしれない。

「ひとりで戦うしかないのか」

そう決意した時、約束の男がついに現れた。

「待たせたな!」

尾道兄さんは自信満々にやってきた。

「俺に任せておけ」

自信の男はそう言った。

いよいよ開店が近づき、老人軍団と僕たちの睨み合いが続いた。バチバチと熱い火花が散っており、天下分け目の決戦、かなり熱い展開のような気もするが、何度も言うように5000円取れるかどうか、というだけである。妙にみみっちい。クソみたいな闘いだ。

いよいよ開店だ。

ワーッと先頭の老人軍団が重い体を引きずりながらサンダーVコーナーに走る。そして心筋梗塞役の爺さん、トクさんが、入り口を塞ぐようにしてしゃがみ込む。

「う……うう……」

完全なる大根演技なのだけど、効果は抜群だ。後続を一気にブロックする。乱暴に蹴散らすわけにはいかない。みるみると先頭集団との差が開いていく。

「どうするんですか、尾道兄さん!」

尾道兄さんの表情を伺う。そして兄さんは満を持して動き出した。

「う……うう……」

心筋梗塞爺さんの横にうずくまる尾道兄さん。お前も心筋梗塞かい。こいつバカだろ。

こんなことをしても先頭の爺さんたちはもうサンダーVコーナーに到達している。足止め効果なんて一切ない。意味がない。効果がない。なのに尾道兄さんは迫真の演技だ。むしろ心筋梗塞が二人になったのでさらに通路を塞がれて邪魔だ。

しかし、そこで異変が起こった。

「なんだなんだ」

「おい、急病だってよ」

「大丈夫かー!?」

先頭を走っていた老人たちが何事かと引き返してきたのだ。効果てきめんじゃねえか。全員バカだろ。

結局、この事件により、僕らと老人軍団との間で紳士協定みたいなものが結ばれるようになった。心筋梗塞ブロックは虚構と現実の区別がつかなくてシャレにならないので禁じ手とし、その代わり僕と尾道兄さんは行列の最後から入店する、ということになった。

これによって老人軍団と互角な感じになり、モーニングを取れることが半々くらいになった。それでもまあ、やはり落ちている5000円であることは変わりなかったので、美味しい状態だった。

「尾道兄さん、いまどうしてるんだろうか」

こうして懐かしのサンダーVに触れていると、ふいにそんなことを思い出した。

僕より少し年上くらいだったはずだから、いまや立派なおっさんになっているはずだ。そこには僕の人生と尾道兄さんの人生があって、サンダーVを介してそれがクロスしていた。そう考えるとなんだか奇妙な気がした。ただまあ、老人軍団のほとんどはもうこの世にいないかもしれない。それこそガチの心筋梗塞かもしれない。そう思うと少し寂しい気分になった。

「デュワデュワデュワン」

目の前のサンダーVから予告音が鳴った。

この予告音もこの機種の特徴の一つだ。むしろ、予告音こそがサンダーVだという人もいる。

詳細な説明は省くけれども、これが鳴るとちょっと期待していいぞ、となるのだ。自然と期待度が高まり、胸躍る、そんなギミックだ。

「そうだ、そうだ、この予告音で尾道兄さんと喧嘩したんだった」

あの時、サンダーVの予告音はちょっと期待できる程度のギミックだったけど、現代では、忘れていた何かを思い出すギミックになっていた。なんとも面白いものだと感じつつ、またあの時のサンダーVコーナーへとトリップした。

あの日、心筋梗塞ブロックを破って以来、僕と尾道兄さんはけっこう仲良くなっていて、サンダーVのコーナーで情報交換をするようになっていた。

「最近、モーニングが投下された台の設定が悪い。たぶん設定1だこれ」

「そもそもサンダーV全体で設定が悪い」

「それよりも、モーニングが1台しか投下されていない日も増えた」

そんな会話をしているところで、尾道兄さんがちょっと得意気な顔で話を切り出した。

「そういえば、予告音が鳴った時にさ、右打ちして7を下段に狙うと激熱だよ」

そんなことを言っていたと思う。通常、スロットは左から順番に止めていく方法が一般的だ。ただ、予告音が鳴った時だけは右側から押し、下段に「7」が止まったら激熱。そう言うのである。

「ただ、これだけじゃなくて、下段に7が止まったら中リールも7を狙って止める。さらに下段に7がきたら90%くらいの確率でビックボーナスだよ、熱いでしょ」

そう言うのだ。絵にするとこんな感じだ。

「90%くらいってところが最高じゃない? 100%じゃない。すごくドキドキする」

尾道兄さんはそう言って笑っていた。この人、こんな表情もできるんだ。そう思った。

なるほどなあ、と思いつつも予告音が鳴った時にやってみたが、そもそもこの出目が止まらない。うまくいかないのだ。ちなみに、この方法はスイカをフォローできないのであまりにやりすぎると微妙に損をしていく。

「出ないですよ」

右リール下段はけっこう出るのだけど、中リール下段がなかなか止まらず、どうしてもこういう状態になってしまう。それでもまあまあ熱く、ボーナスの期待が持てる出目なのだけど、どうしても中リールの7が下段に止まらない。

「そんなことない、パチスロ必勝ガイドに載ってたもん」

尾道お兄さんもそう言って隣で打ち始めるが、やはり止まらない。何度もやっても止まらない。引き込みがシビアなのか、それとも僕らの力量が足りないのか本当に止まらなかった。

「嘘だったんじゃないの」

僕がそう言うと、尾道兄さんは激怒した。

「うるさい! 予告音が聴こえないだろ!」

これは確かにその通りで、サンダーVの予告音はボリュームが小さかった。おまけに当時のパチンコ屋は「〇〇番台大当たりしました」と店内放送を大ボリュームでガンガンやって客を煽っていたので、本当に耳を澄ましていないと聞こえなかった。この予告音が聞こえない問題は、当時のサンダーVユーザーの多くが困っていた。

「うるさいのはそっちだろ」

「はあ?」

こんな感じで煽り合いになってしまい、売り言葉に買い言葉、最終的に「じゃ尾道で打てよ、わざわざくんなよ」「おまえこそちゃんと大学行けよ」みたいな煽り合いになってしまった。完全なる喧嘩状態だ。下段に7が止まらないことだけで喧嘩したなんて世界でも僕らだけなんじゃないか。

結局この事件以来、尾道兄さんと会話することはなくなってしまった。

 こうやって思い出してみると、本当にバカらしい。なんであんなことで喧嘩してしまったのだろうか。なんだか胸が締め付けられるような気がした。

もっとやりようがあったんじゃないか。それどころか、仲直りするタイミングだってあったんじゃないだろうか。

そうだ、あの後も下段に7が止まればそれをきっかけに仲直りできるんじゃないかと狙ったけど、やっぱり止まらなかったんだ。

「それ以外には仲直りのタイミングなかったなー」

そう呟いて思い出した。僕は記憶を改竄している。

正確に言うと、仲直りのタイミングはあったのだ。その記憶を封印しているだけだった。いにしえの時代からやってきたサンダーVの実機が、僕の記憶の箱を開けてしまったようだった。

寒い日だったように思う。

行列に並んでいて、その日も紳士協定を守って僕と尾道兄さんは列の最後尾に並んだ。ただ、喧嘩中なので会話はしなかった。この頃になると店側が渋りだしたのか、1台もモーニングが投下されない日がちらほら見られるようになっていた。

「そろそろダメかもわからんね、この店」

老人たちがそんな会話をしている中で、やはり僕と尾道兄さんは会話しなかった。けれども、いよいよ開店するという段階になって、突如として尾道兄さんが話しかけてきた。

「俺さ、実家の工場で働くんだわ。いつまでもスロットって歳じゃないしな。だからもうこの店には来ない」

尾道兄さんの引退宣言だった。

そこで、過去のわだかまりを全て捨て、仲直り出来たら良かったのだけど、僕の精神はそこまで成熟していなかった。早い話、幼かったのだ。

「あっそ」

みたいなことを言い、そのままサンダーVのコーナーに雪崩れ込んだと思う。本当に、まったく成熟していない子供みたいな精神だ。思い出すだけで恥ずかしい。確か、その日は一台もモーニングが投下されていなかった。

次の日から、尾道兄さんは本当に来なくなった。

そして僕自身は、激しい後悔に襲われることになったのだ。

どうしてあんな態度をとってしまったのだろう。どうして仲直りできなかったんだろう。予告音なんてどうでもいいじゃないか。下段に7が止まらなくてもどうでもいいじゃないか。どうして、新しい道でも頑張ってね、そう言えなかったのか。

あまりに後悔が激しいものだから、何週間かして、僕は尾道までいった。老人軍団に聞いた尾道兄さんの情報を総合し、彼の実家がやっている工場に目星をつけていたのだ。

尾道兄さんの実家の工場はすぐに見つかった。詳しくは書かないが、その業種の工場は尾道には一つだけだった。

そこには尾道兄さんとそのお父さん、ちょっとややこしいけど尾道兄さんのお兄さんみたいな人、3人で汗だくになって働いている姿があった。小さな工場だ。大きく開いた鉄扉の向こうに一生懸命働いている尾道兄さんの姿があった。

僕は少し離れた公園からその姿を眺めるだけで、何も言えなかった。言葉を持ち合わせていなかった。急に、3連Vだとか下段7とか予告音だとか言って夢中になっている自分が恥ずかしいものに思えた。

結局、そのまま帰ってしまった。

あの頃、僕らは3連Vを求めて一生懸命に生きていた。けれども、それは人生において必要なことだったのだろうか。思い返してみる。

たぶん必要ないことだったのだろう。

確かに不必要な事象だった。けれども、何事も必要・不必要で人生を図ることほど息苦しくバカらしいことはない。時にはアホみたいに生きる日々も必要なんじゃないか。それでこそ、一生懸命に生きるときに張りがでるってものだ。

3連Vを求めたあの日々、僕達はバカだった。でも尾道兄さんは足を洗い、工場で働きはじめた。尾道兄さんとお父さん、その兄、必死に働く三人が輝かしい3連Vに見えた。だから僕は声をかけられなかったのだ。

「僕の人生に3連Vはあるのだろうか」

思い浮かばないのなら、きっとまだ一生懸命が足りないのだろう。

そんなことを思い出しながら、しんみりと、いにしえのサンダーVを打ち込んだ。古いスロット台を打つと、あの日へとタイムスリップさせてくれる。

たまにはいいものだ。忘れていた思い出が僕を少しだけ元気にしてくれた。

そうすると、あっけないほど簡単に、あれが出てきた。なんであの時出なかったんだろうと思うほど、あっけなく出た。

出ましたよ、尾道兄さん。

きっと今もどこかで頑張っていると思う尾道兄さんに、これを見せたいと思った。

いまはもう無くなってファミレスになってしまったあの店、1998年のあの場所に確かに存在した。サンダーVの3連Vとバカらしくも一生懸命な僕たちが。

サンダーVの3連V。

その姿にホールの誰もが畏怖した。けれども、人生の3連Vだけは、自分の力で見つけるしかないのである。サンダーVとはそういうことを思い出せてくれるスロット機だ。

狭い部屋に響くチープなファンファーレがなにより心強いものに思えた。

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